スピンスレッドの立ち上げ
同僚と共に立ち上げた会社を離れる際、私たちは話し合いの上、原則として既存クライアントは新会社に引き継がないことを決めた。
そこで、私は窓口として担当していた全てのクライアントに出向き、退職の挨拶をして回った。その中で2社から「引き続き砂子さんにお願いしたい」との強い要望を受け、例外的にこの2社のみ、新会社であるスピンスレッドが引き継ぐこととなった。
新会社として取引きが決まっていた顧客は、この2社だけ。実質的にはほぼゼロからのスタートだった。それでも、心のどこかに「起業は2回目。前回のような苦労はもうないだろう」と、心のどこかで淡い期待を抱いていた。
その淡い期待が、起業直後に現実になろうとしていた。以前からご縁のあった方から、大規模案件のコンペへの共同参加の打診があったのだ。
そのプロジェクトは、当時のスピンスレッドからすると超大規模案件。前職で倒産間際まで追い込まれながら、奇跡的に受注した総合病院の大規模なWebサイトリニューアルをさらに超えるものだった。
それからは全ての時間をプレゼン準備に注ぎ込んだ。資料を何度も作り直し、当日をイメージしながらプレゼンの練習を繰り返し、当日のイメージを作り上げていった。
そういった準備も功を奏し、プレゼンも練習通り、いやそれ以上の出来で進めることができた。クライアント側の反応、そして私自身の感触としてもかなりの手応えがあった。
実際、その感触は間違いでなく、最終的な2社に残った。本来であれば、1回のプレゼンで全てが決まるはずだったが、クライアントが「どうしても決めきれない」ということで、2社で受注をかけが最終プレゼンが行われた。
もちろんこのプレゼンも抜かりなく準備を進めた。それなりの手応えもあった。——だが、まさかの失注。
私に声をかけてくれた取引先から連絡を受けた後、しばらく呆然と立ち尽くしたことを今でも覚えている。
こうして、淡い期待は、泡のように消えていった。
もちろん、2回目だからといって油断していたつもりはなかった。それでも、「一度経験しているから、きっと今回はうまくいく」と、どこか心の奥で思っていた。結果的にそれは、他人任せ・運任せの甘さだったと、痛感する。
知り合いを除けば、スピンスレッドという会社は「誰も知らない」存在。問い合わせはゼロ、仕事もゼロ。そして、銀行残高だけが、みるみる減っていく。
あの、前職で味わった「資金が尽きる恐怖」が、再び現実のものとなって迫っていた。
