どん底での奇跡の大型案件受注
しかし、人生とは本当に分からない。資金が底をつき、夜中のバイトでも補えず、倒産寸前のどん底で、奇跡的に東京都内にある総合病院のWebサイトリニューアル案件を受注したのだ。
数百ページにも及ぶ大規模案件で、当時の受注金額からすると桁が2つ違っていた。当然、制作期間も長いものとなり、新しいサイトの公開まで10ヶ月ほどかかったと記憶している。
起業後の2人の役割としては、同僚がフロントマンとして営業面を担当し、私は制作サイドを担当していた。ただし、これは「基本的に」ということで、案件によっては私自身がお客さんとの商談を行い、そのまま制作を進めるということも何度かあった。
この大型案件のクライアントは、営業担当だった同僚が電話営業か何かで担当者と繋がり、その後定期的に連絡を取り続け、次第に相談を受けるようになるなど、少しずつ関係を築いていったクライアントだった。
ただし、関係を築いたといっても、大型プロジェクトだっただけに単独指名をもらえる訳でなく、10数社によるコンペ形式に参加させてもらえるだけ。一次選考で8社くらい絞られ、二次選考で3社に絞られることとなったが、運よく二次選考も残ることができた。
ただ、ここからが問題だった。「最終判断はオフィスを見てから」と連絡があった瞬間、私は絶望した。というのも、当時は同僚の自宅マンションの一室を仕事場にしており、一般の人がイメージするオフィスはおろか、会社専用の賃貸アパートを借りているわけでもなかったからだ。つまり、普通の家庭の生活空間だったのだ。
だが、同僚は諦めなかった。生活感のあるものは奥の部屋に詰め込み、広いリビングをフルオープン。BGMにラジオを流し、外部パートナーも集めて少数精鋭のチーム感を演出。当日は堂々とクライアントを迎え入れ、最後の打ち合わせを行なった。
正直に告白すると、私は諦めていたので、こんな表面的なことをしても変わらないだろうと思っていた。それだけに、数日後、正式発注の連絡が届いた時には狐につままれたような感覚で、嬉しいという感情はだいぶ後になってから感じたのだった。
当時の私たちの制作体制は、全てを内製していたわけではなく、デザインやシステム構築といった業務の一部はそれぞれ外部パートナーさんと組んでWebサイトを作っていた。
ただ、コーディングといわれるHTMLでページを組み上げる仕事は、当時私が担当していたが、この業務に関しては、それまで外部パートナーさんに依頼したことがなく、正直大型案件に対応する体制は全く整っていなかった。
私はこの大型案件の制作側のトップとして携わったが、デザインやCMSといったプログラミングが必要なシステム構築を除くページ制作について、数百ページの制作を私一人で作っていた。今だから話せることだが、クライアントには想像もつかなかっただろうと思う。
この時、サイトの規模に比例して大規模なCMSを導入した。各診療科や看護部などの各部門合わせて30を超える部門が自由に更新できるようなシステムをパートナーさんと一緒に構築したが、公開直後から改修の要望が嵐のように殺到するのではないか?と構築中はずっとビクビクしていた。
だが、そんな心配は杞憂だった。多少の改修要望はあったとは言え、懸念していたようなことは全くなかった。その時に、システム構築を担当したパートナーさんの真の実力を知ったのだが、そのパートナーさんはその後法人化し、私がスピンスレッドを立ち上げてからも良好な関係を続けている。今もなお、支え続けてくれている強力なパートナーだ。
このプロジェクトで驚いたことがもう一つある。それは30名以上の医師を撮影した際のフォトグラファーの技術だ。
撮影当日、撮影のために用意されていた部屋に来る医師の方々は、みな怒っているような顔をしていた。「忙しいのになぜ私がわざわざこんな所へこなければならないのか」。口には出さずとも顔にはそう書いているようなオーラが漂っていたのだが、撮影が終了し部屋を出る頃には、みな一様に笑顔で部屋を出ていった。
その一部始終を目の当たりにし、「撮影は技術だけではなく、空気をつくる力だ」ということを私は知った。
この時のフォトグラファーさんとも、今なお一緒に仕事をしている。こうしてスピンスレッドを立ち上げた今も、力強いパートナーとして仕事をご一緒させていただいていることには感謝しかない。
何とか首の皮一枚つながり息を吹き返すことができたのだが、今振り返ってもこの受注は奇跡に近い出来事だったと思っている。この案件の受注がなかれば早々と会社を精算し、今は全く違う人生を歩んでいたかもしれないのだから、人生は面白い。
