猛烈なアタック
教職の道を自ら外れたとはいえ、学生だった私には「やりたいこと」なんて何もなかった。正確には、何がしたいのかすら、分からなかった。そもそもバイトもしたことがなく、自分が仕事をするというイメージが全く持てなかったからだ。
勉強に力を入れるでもなく、卒業できるギリギリの単位を取得することだけを目指し、あとは全て野球に時間を割いていた。
——などと聞こえのいいことを言ったところで、実態は「野球を言い訳に、就活から逃げていただけ」だった。
その結果、新卒で入社した会社は4ヶ月で退職、そこからの1ヶ月はひたすら家で寝る日々。メンタル的に病んでいたわけではないが、とにかくやる気がなくダラダラした日々を過ごしていた。
しかし、そんな生活が楽しいはずもなく、あっという間に飽き、1ヶ月も経たないうちに、「このままでは人として終わる」と思うようになり、自然と次の行動にでていた。
日雇いの仕事に登録して働きつつ、「自分がやりたいことって何だろう?」と周りの大学生は3年頃から考えていただろうことを、今さら考える日々。
そんな日々の中、ふと、東急ハンズによく足を運んでいた事に気づいた。「もしかしたら、雑貨やインテリアが好きなのかも」。
そう思い立ち、すぐに本屋へ向かい、雑貨・インテリア系の雑誌を購入。そこには、自分の知らない世界が広がっていた。日本中に、魅力的な雑貨屋がこんなにあることを全く知らなかった。
「行けるだけ、行ってみよう」
と、勢いだけで私の雑貨屋巡りを始めた。とにかく後先考えず、お店行脚を始めたのだが、その多くは個人店のような小さなお店だった。
そこで感じたことは「男一人では、入りづらい…」だった。今はそういうお店は少なくなったのではないかと思っているが、当時いろんなお店を回って感じた私の正直な感想だった。
入るのに一呼吸おいて勇気を振り絞って入る。「営業かっ!」って突っ込まれそうだが、そんな記憶が蘇る。もちろん、当時でもなんとも思わず気軽にお店に入る男性もたくさんいたとは思う。しかし、少なくとも、私は一つのお店に入るごとに勇気を出して扉を開けていたのを覚えている。
そんな中、ある店舗に入った瞬間、
——これだ。
と思う店舗が新宿にあった。それが、当時規模が拡大しつつあった「フランフラン」。
明るく、広く、男性の自分でも気後れしない空間。全てがイメージ通りだった。「なんとしてもここで働きたい!」と身体の奥底から湧き上がるような感情に突き動かされた。
そして、壁に貼られた一枚の紙
「スタッフ募集」
の文字が目に飛び込んで来た。そして、ここで私の中で何かが爆発した。
それまでフランフランのことは一切知らなかったが、調べると池袋、渋谷、他にもある。気づいた時にはすでに池袋や渋谷店にいたが、どの店舗でも「スタッフ募集」の張り紙がある。そう、この頃のフランフランは人気が出てきて店舗数を増やし、どの店もスタッフが不足していたのだ。
「これはイケる…!」
この状態でやることは、ただ一つ。そう応募すること。当然、私も応募に向けて動き出した。もう即行動。新宿店だけでなく、池袋も渋谷も。複数の店舗で募集してるくらいだから、採用される可能性が極めて高い。私にとっては絶好の追い風、のはずだった...
お店からの連絡をいつでも取れるようスタンバイするも、待てど暮らせど全く電話が鳴らない。そのうち居ても立っても居られなくなった、私が取った行動は人事部への電話。
それまでの私は、相手に迷惑になるのではないか?との思いが先に立ち、行動を躊躇するタイプだった。
でもこれは、カモフラージュされた自分を守るエゴ(行動して断られるなど、予想と違うフィードバックが怖い、避けたいという思い)なだけということに40歳くらいになって気づくのだが、この時ばかりはその躊躇するブレーキが完全に外れ、相手の状況も顧みず、気づいたら受話器を握っていた。
人事部に電話したことにより、なんとか面接を受けるチャンスをもらうも、しかし——不合格。普通なら、ここで終わる。だが私は、人事部に電話をかけ直した。
「もう一度だけ、面接の機会をください」
今振り返ると、鬱陶しいと思われたかもしれない。でも、この行動が人生を変えた。
面接を受けた店舗では不合格だったものの、別店舗で「男性スタッフが欲しい」というタイミングが重なり、採用が決まったのだ。大学の補欠合格といい、フランフランでの採用といい、どうやら私は「ギリギリで滑り込むタイプ」らしい。
けれど、こうして始まったフランフランでのアルバイト経験が、今も自分の“仕事観”の土台になっているのだから、人生は本当に分からない。
「“好き”は、動いてみて初めて気づく」
「チャンスは、情熱と行動でこじ開けることができる」
そう教えてくれた原体験が、この時の“猛烈なアタック”だった。
